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【ジェンダー問題】利用されてるトランスジェンダー

「ポリコレ」という言葉を聞くと、一頃は「女性の権利」…なんていう風に、結びついていました。
「Me too」運動とか、10年ぐらい前はそればっかだった。

今は「LGBTQ」に結び付き、むしろ女性の権利を守ろうとする(真の)フェミニストから目の敵にされてる事態に変化した。

つまり「ポリコレ」という言葉の持つ概念、立ち位置が変わったのですよ。

生物学的女性より弱い存在…「いるじゃないのぉ~!」っていうことで、トランスジェンダーへとシフトした。
LGBと同列にすることにより、焦点をボカしたのでしょう。

ゲイもレズビアンもバイセクシャルも性自認は生物学的性別と一致してる。
あくまでも恋愛対象の性別が同性、同性+異性…ということで、LGBの当事者のジェンダーがどうのではなく、恋愛事情のみです。ドラァグクイーンとか男の娘とか、男性に関しては様々な形態があるから、複雑ですけどね。

元男性のトランスジェンダーを弱者にしてる風潮


トランスジェンダーというのは、自分自身の性自認と肉体が一致せずに苦しんでる方々です。しかも、性自認という「心は女」「頭の中は男」みたいに、外から見て具体的に判断できるものではない。

そこを狙われた。
「心は女なのぉ~」と言っても、論理的な証明は難しい。
そして、それを単なる思い込みだろう…という反論も論理的にできません。

要するに「言ったもん勝ち」なのです。

ジェンダー問題に於いて「私の心は女なのぉ~」と言いさえすれば、それに対して疑念を持つ者に「差別主義者」と、相手を黙らす最強の言葉を放てます。

どう見ても「お前、男だろうが!」と言ったところで「私の心は女よ!」と言われてしまえば、何も言えなくなる。
特に男性は、女の身振り手振り、女口調、メイクを施せば容易に「なんちゃって女」になれます。

元女性のトランスジェンダーは、筋肉鍛えたり、髭伸ばしてみたり、時間を要してしまう。身長が低い元女性のトランスジェンダーもいるでしょう。
頑張ったところで、チビな男…っていう見方しかされません。
無論、スポーツ競技に出るにしても、成長期に女性ホルモンによって形成された骨格は男並みにならないため、不利です。

※欧米では、ホルモンの影響を受け出す成長期の子に性転換させるような動きも活発化し、それも問題になってる。自我形成が未熟な時期を狙われ出した。

だからトランスジェンダーで問題を起こすのは、決まって元男性トランスジェンダーばかり。「女性が利用する施設を使わせろ」「女性の競技に出させろ!」と主張しまくり、海外では大問題になってます。

挙句、(真の)フェミニストと対立する構図。
あの「Me too」運動は何だったんだ?っていう有様よ。

当事者の声より大きい活動家の声


私は「ノンバイナリ―」っぽい人間なんですが、「They/them」という”ノンバイナリ―代名詞”は、馬鹿じぇねぇの?って思ってます。
ノンバイナリ―の人が、たとえば、見た目が女だけど「彼女」と呼ばれることに傷つく…なんてあるかよ。

頭ん中は男女が混在してるっぽいから、「両方であり、どちらでもない」という感覚ってだけ。「女の自分と男の自分がいる」、又は男女一緒くただから「どっちでもいい、拘らん」ってこと。

身体的な性別は「凸がない方が女なら、女と区分されるのは当然」という考えよ…私の場合はね。
どうしたって、凸無いんだからさ。
無いものを有るフリできねぇじゃん(苦笑)

そういう感覚なのに、代名詞如きで傷つくか?っての!
身体は女だけど、頭ん中は野郎も入ってんだよ!
細かしいことで、女々しくネチネチ文句言っていられっかよ!!

ね、ジェンダー問題は、当事者と乖離してるってわかるでしょ?
ノンバイナリ―に関したって、「傷つく」を端から前提にしてんだわ。

恐らく、トランスジェンダーもそうでしょうね。
当事者はそこまで…ということを、殊更問題を大きくして、むしろ生きにくくさせてる。いい加減にしろ!と思うよ。







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今更ですが、私はノンバイナリ―かもしれん

自分を明確に「男」「女」と判別してない部分は、若い頃からありました。
でも生物学的には女の体なので「女なんだな」っていう認識。

私は学生時代、女の友達を好きになったりもした。
今から半世紀前だぜ(笑)

当然、その時代には「LGBTQ」なんて言葉は、少なくとも日本では全く知られてなかった。女っぽい男性を「オカマ」なんて揶揄していた時代ですよ。
「性自認」という概念すらなかった。

女性の場合、あくまでも自分が「女」という性自認の上で、同じ女性に対する性嗜好の「レズビアン」のみ。

私は自分を「女」だと思い込もうとしていたけど、どこか男の部分もあるよなぁ…ってのは、思春期の頃にはあった。
だからよく「女のクセに生意気」とか、言われがちだった。

自分は「女」という風に思いこむことにより、生きてきたわけですわ。
でも、どこか「男」という部分は確実にあった。

ノンバイナリ―という人たちがいることを知った


私と同じように、性自認が曖昧な人がいるんだって、この歳になってようやく知った。それを「ノンバイナリ―」と呼ぶというのは、マジで最近知ったばかり。

私はそれかもしれない…と。

昔から頭の中は、男の部分が大半を占めてる気がしてた。
恋愛対象が男であることは、生物学的に女の私は極普通の感情…とも思っていた。でも頭の中が野郎なので、普通の女性とは違うような気もしてた。

時には女のように振舞うことは可能だから、男女交際として成立する。

よく「ノンバイナリ―」は、男でも女でもない「第三の性」とか言われてるらしいけど、私の場合は「男でも女でもある」って感覚。

女性扱いされるのは、「女のクセに」等と蔑視されたり、差別されること以外、別にどうってことない。
見た目が女なんだから、仕方ない。
それが嫌…なんて思ったことは、一度もない。

但し、女性差別というものを身をもって知ってる故に、そういった性差別をする人間や風潮も大嫌いだ。
生物学的女性を抑圧し、Tを優遇するような風潮も大嫌いだ。

「これが私なんですけど」ってことだけ


This is me(これが自分)

可愛いものが好きだし、カッコ良いのも好き。

特に更年期障害の時期を経て、男性ホルモンが優位になってる今、男の部分が強くなってきたかな?ってのは感じる。でなきゃ、58歳にもなった孫もいるBBAがアクションゲームなんて始めるわけなかろう?
死にゲーの「ダクソ3」を全クリするまで、躍起になるわけなかろう?

人間、誰しもが男の部分や女の部分を持ってる。
だけど性自認として、どちらか一方であることに違和感は持たない。
私の場合は、モヤモヤしてる部分が多かっただけの話。

思春期の頃「男になりてぇ」って思った時期はあったんですよ。
それは単なる男への憧れなのか、自分の性自認への葛藤だったのか、今でも理由はわかりません。

ノンバイナリ―に配慮する必要あるか?


英語圏とかでは、ノンバイナリ―代名詞として「They/Them」を使うように…なんて動きがありましたが、アホくさ。
日本語の場合、サービス業なら男女問わず「お客様」とかって呼ぶし、普段の会話で「彼女/彼」なんて使うことはそんなにない。

新潟弁なら「あのしょ」で済む(笑)

生物学的な性別を直視したくない…って人はともかく、私は「だから何だ?」って感じですよ。
そんなチマチマと細かくケチつけるような、クレーマー気質じゃない。

女なのに野郎みたいにしていても、親しくなった人なら「そういう性格」としか見做されないんだわ。「サバサバしてるね」って。

いい加減、妙な固定観念を植え付けようと頑張ってる輩どもは、口を閉じてろ。
そういう風に思ってるLGBTも多いんじゃないかな?


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頭ん中が男のBBAがLGBTやBLを語るだけの記事








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知名度が低い同性愛絡みの映画

何か知らんけど、「BL」という言葉は世界中に広がってるのかな?
「Boy's Love」って言葉から取った「通称名」みたいなもんだけど。

私は1980年代から、同性愛要素の入ってる映画を沢山観てきました。
VHSが一般的になり、我が家でもデッキを購入し、レンタルビデオで色んな映画を観ることが可能になったからです。

レンタルビデオの店によっては、マニアックな作品が置かれてるケースもありました。ですから、一般的に知名度の低い映画も沢山観てきた。
勿論、同性愛絡みの作品も。

そんな「知る人ぞ知る」って作品を挙げたいと思います。
胸キュン要素はほぼありません。
悲恋やバッドエンドが多いです。

欲望の法則(1987年)

自ら、同性愛者だと公言している、ペドロ・アルモドバル監督作品。
駆け出しの頃のアントニオ・バンデラスが出演しています。
この作品は、個人的に衝撃を受けました。
男性同士の行為を具体的に描写していたので、当時の私はビックリしたわけですよ。「すげぇな…」と(苦笑)


リビング・エンド(1992年)

HIVの問題が生じ、それらを扱う映画も増えてきた頃です。
同性愛者の差別が激しくなった時代でもありました。
そんな中、HIVに感染した男性は、乱暴してきた輩を殺めてしまう。病気と罪によって絶望する中、逃走している時、同じようにHIVに感染してる男性と出会う。

映画「テルマ&ルイーズ」みたいな逃避行もの。


アナザウェイ(1982年)

この作品は女性同士のもので、ハンガリー映画です。
1980年代のハンガリーの社会情勢(ソ連占領下、共産主義政権)も含んでますから、そんな時代でこその話になっています。
私はラストの展開に愕然としてしまいました。
鳥が空へ羽ばたいていくラストシーンが印象的だった。

こんな抑圧的な国家、社会、時代があったんだなと、若い人なら思うでしょうね。


クリップ・アップ(1987年)

前の年(1986年)に公開された「シド・アンド・ナンシー」に引き続き、ゲイリー・オールドマンが実在した人物を演じました。
シドを演じた時は、周囲が心配するほど役作りで痩せ細りましたが、この作品のため一気に体重を増やして撮影に臨んだという、ゲイリーさんの役者根性を伺い知れます。

実話ベースなのですが、相手役を演じたアルフレッド・モリーナの健気な表情が印象的。愛していたからこそ…という展開が辛かった。


変身する女(1988年)

怖い映画の「変身する女」じゃないです。
身体目的な男に嫌気がさした主人公の女性弁護士。男装したりして、様々な出会いをしていきます。
彼女は本当の愛を求めていた…いや、求め過ぎていた、という物語展開です。
映画ジャンルはサスペンスになってんのよね。

主人公を演じたザブーが中性的で可愛いんです。



…まぁ、こんなもんかな?
こういった作品を観てきた私が、今蔓延っているBLの方向性は「夢物語だな」という印象ですね。
胸キュンさせるためのBLってことは理解してますが…。

「LGBT」って言われる前の時代、映画なんかはマジで”鬱エンド””バッドエンド”が多かったなぁ。

今は、日本だけじゃなく、海外でもBL関連のドラマが増えてるのかな?って気もする。まぁ、キャラ設定は、どこの国も似たような感じかな?
でも、今の日本でドラマ化するにあたって、高校生同士ってのは少ない?
設定年齢がアウト…ってのもあるんでしょうかね。







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