ゴースト・オブ・ツシマ:2つのエンディング
どちらを選ぶか迷う人は多いと思います。
それまでの話の流れを汲む人。
心情的になる人。
武士たる判断は如何に?と思う人。
・・・まぁ、僅かな時間に様々な思いが頭を過ることでしょう。
こういう別エンディングがあると、「グッドエンディング」「バッドエンディング」で分けたがる人もいますが、このゲームに関しては当てはまらないでしょう。
「仁の気持ちがどうなのか?」という重要な点に於いて、プレーヤーの判断に委ねてる感じかな?
以下はネタバレです。
結末を知らない方、一方の結末のみ知ってる方は注意。
志村を生かす
私はこちらを選びました。
恐らくゲーム製作サイドも「プレーヤーの多くはこちらを選ぶだろう」と思ったはずです。
蒙古との戦い、様々な人たちと関わる旅路は仁に多くを学ばせた。私たちプレーヤーはそれを見届けてきた。
それを示すエンディングだと思います。
武士の身分をはく奪され、武家である「境井家」を潰してしまった仁。
まさに「境井」は死んだ。
そして目の下頬(めのしたぼお)をつけた仁は、この世に蘇りし鬼のごとく。
二度と志村に会うことはないだろう…で、その場から立ち去る。
巴と同じで矢のように。
これは仁の新たな出発です。
彼は人知れず、対馬の民を守り続けていくでしょう。
エンディングの曲への流れにもマッチし、胸が熱くなります。
感動して泣かずにはおられまい。
志村を死なせる
こちらの結末を選択した理由はプレーヤーによって違うでしょう。
何を想って志村を終わらせようとしたのか。
志村への怒りか、又は武士の誉れを尊重し潔く死なせてやる情けなのか…。
「仁之道」の終着点となる選択。理由はどうであれ、物語は仁が刃を志村に刺した後、親子としての絆が結ばれ終わる。
このエンディングはプレーヤーの感情をガンガン揺さぶります。
仁が泣き叫ぶ姿は、父親を失い、泣き伏せた少年時代の仁と重なる。
ですから辛くなります。
感動の涙ではありません。
そのシーンの後、私ならゲームのやり込みを続けていく気分にはならなかったかもしれない。
悲しみと心痛は、”たか”や愛馬の”信”を失ったシーンで充分でございます。
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志村は「武士らしく戦うことで民の手本になる」と言っていた。
しかし、仁が見てきたのは、蒙古兵に蹂躙されている民の姿。
人の命も島も奪ってる敵がいる最中、武士らしく戦うことにどんな意義があるというのだろう?
武士と蒙古は対極にある
蒙古はユーラシア大陸を征服し、大きな帝国を築き上げました。
それは戦闘力だけで成したのではなく、巧みな戦略を用いてきたからです。
――降(くだ)る者は殺さない。だが抵抗する者は徹底的に潰す。
他の多くの地域は降った。
武士は降るくらいなら死を選ぶ。
戦に負けたとしても、武士らしく散ることを重要視します。一方、蒙古は勝つことだけが重要。「負けの美学」というものは、彼らにはありません。
負けは単なる屈辱なのです。
勝つためなら手段を選びません。
ハーンが仁を「お前は侍ではない」と言ったのは、自分たちと同じだと悟ったからです。志村は理想を、ハーンは現実を見ていた。
このゲームは蒙古と武士の戦に於ける考え方の違いを浮き彫りにし、仁はその間にいる者として位置付けてきました。
相反する両者の中で仁は葛藤する。
そして仁は両者の間で蠢く「冥人」となった。
あと、ゲームでは仁の活躍を「噂」として広めることに重点を置いていました。それこそが蒙古のやり方でした。
相手の士気を下げるため、自分たちの強さを口コミのように広げていたからです。
プレーヤーが仁の噂話を広げることに尽力する(蒙古を叩きのめす)ことには、ちゃんとした意味があった。
蒙古の脅威が噂として広がることへの対抗策。
このように考えると、よく練られたストーリーだということがわかりますね。
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