awesome的な

ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」をより楽しむことを目指しています。写真の合成加工作品も掲載。

「ブランはすべて(神)である」理論@ゲーム・オブ・スローンズ

今までにない理論に出会いました
実際に、ドラマでそのような展開にはならないと思いますけども。

知ってる方も多いと思いますが、原作者のGRRMはあらゆる史実、神話、宗教を取り入れています。
「ゲーム・オブ・スローンズ」は架空の世界を描く神話のような話ですが、完全な夢のようなファンタジーではなく、人間そのものの「業」を魔法要素を用いながら示しています。

一応前置きしておきますが、この理論は宗教的な偏りがあるように思います。
「戦争・人間=自然破壊」→「調和する重要さ」という観点での展開を望んでいる私自身は、ある種の違和感があります。

でも、ネタがないので(苦笑)紹介します。

ブランはすべて:王都の運命


有名な理論では、ブランが狂王エイリスの耳元で囁いたことで「すべてを焼き尽くせ!」とエイリスが繰り返し叫んだとか、サーセイが狂王エイリスのようにマッド化し、王都を鬼火によって破壊しようとする…というものがあります。

しかし私は、ブラン自身が王都を燃やす人になると信じています。

◆氷と炎で終わる都市




まず第一に、王都は間違いなく燃え尽きます。

これは、第二章でデナーリスがクァースの不死者の館で見たヴィジョンが前身となっています。
それはブランのヴィジョンにも数回現れ、王都の結末となるでしょう。
王都はターガリエン王朝の象徴であり、腐敗した機能しない政治の場としての象徴でもあります。

多くのファンは、マッド化したサーセイが鬼火を使用する、またはデナーリスのドラゴンによって焼き払われると思っています。
しかし、ドラマに於いて二人が焼き払うかもしれないという展開は既に終わっています。
サーセイは事態が悪化したら王都から出ることを表明しており、デナーリスは「灰の女王にはならない」と告げ、ドラゴンの攻撃による侵略を否定しました。

一方、ホワイトウォーカーの脅威の文脈内では、鬼火による破壊を具体的に設定しています。

D&Dによれば、第四章第二話でブランがウィアウッドに触れて見たヴィジョンは、三つ目の鴉の能力を習得した際の彼の運命に関係していると語っていました。
中で最も重要なヴィジョンは、王都に映るドラゴンの影です。
そのショットは上空から映し出されたもので、ドラゴン視点となっています。
それに関し、D&Dは疑問を投げかけた。
「そのショットは過去のものなのか、未来のものなのか」


第四章第二話でのヴィジョンは、確かにブランに関係しています。

父エダード・スタークがウィンターフェルのウィアウッド(心の木)の前で”アイス”を磨いており、”アイス”は第一章第一話での「(処刑)宣告」を表している。
そして、赤の王城で捕らえられたエダードは炎を見つめている。
※「死の宣告→炎」の流れを示唆しているということでしょうかね?

ブラン自身の「彼に見られた」という叫びは、第六章で夜の王に姿を見られ、腕を掴まれたブランが叫んだ言葉。
三つ目の鴉の言葉「北へ向かえ」というのは、ブランがどこへ向かうべきかを示していた。


まとめますと、
  • 第四章第二話で見たヴィジョンは、三つ目の鴉の力を習得するブランの運命に関して。
  • D&Dはドラゴンの影のヴィジョンは、ドラゴン視点であることが重要と述べた。
  • ブランは時空を越えて物事に影響を与えることができる。
  • 第六章でのヴィジョンは、鬼火と死の軍団を繰り返し見ていた。
  • ジョジェン・リードとベンジェンは、ブランが夜の王と死の軍団を止める役割があるという旨を語っていた。
  • デナーリスが見たヴィジョンと同じで、ブランは破壊され雪が降っている赤の王城のヴィジョンを見た。
  • 第七章でジョン・スノウは王都の人口を聞いた。
  • 第七章でサーセイは、危険が迫ったら王都を放棄すると表明した。
  • デナーリスはサーセイとの戦いで、ドラゴンを使って王都を攻撃しないと表明した(灰の女王にはならない)

私は第八章のある時点で(第三話を予想する)、死の軍団の一部が王都に到達すると思います。そこまでの間、戦闘によって死の軍団は大幅に少なくなっており、軍を再建するには死者が必要になります。

サーセイは北部への支援をする気はないとしており、彼女の計画からすると死の軍団に対する準備がされていないでしょう。
当然、ドラゴングラスを用いた武装はされていません。
しかも、キャスタリー・ロックを取り戻すために、兵士を一部を送っているかもしれない。

彼女は民を大いに蔑視しており、彼ら民のための食糧を備蓄することもありません。そんな中、死の軍団が人口密度の高い王都へ到着。
死の軍団が大きくなることを阻止できるものは何もありません。
ゴールデンカンパニーは、民を守りながら死の軍団と戦うことは不可能でしょう。

この展開は、第七章でジョンが王都の人口を聞いたことが伏線となっています。
北部の人口よりも多い人間が狭い王都の中で暮らしている。
死の軍団が北部での戦いで減ったとしても、王都ですぐに取り返すことが可能です(むしろ増加する)

それは、ある意味ウェスタロス自体への処刑宣告です。

死の軍団が王都へ到達すると、光の王も王都に現れます。
まさにブランのことです。

人類を救うため、ブランはドロゴンかレイガルに入り込む。
そして、王都の地下にある鬼火に火を放つ。
ブランは王都の市民を犠牲にすることで、ウェスタロスの人々を救う。
それは神の道徳的な権限によるものです。

王都は氷と炎によって終焉します。
死の軍団が王都に到達する=氷
鬼火によって破壊する=炎

◆なぜ、ブランはそのような選択をするのか?


ドラマでも、一番最初の視点はブランでした。
ブランの物語として始まった部分があり、「氷と炎の歌」のテーマは正義の本質と生命を奪う道徳的な重さに関係しています。

第一章第一話。
ブランは脱走したナイツウォッチの処刑の場へ連れて行かれました。
ジョンは「目をそらすな」と忠告し、死刑宣告した父エダード自ら剣を振って処刑した場を見ました。


父から命を奪う道徳的責任を教えられたブランは、神として行動し、何千・何万もの人々の命を奪う決断をするでしょう。
しかし人の人生を奪う際は、最後の言葉を聞かなければならない。
ブランは三つ目の鴉として、すべての人々に繋がることができる。その時に彼らの言葉を聞くことができます。

そしてブランは、王都のすべての人々の集団意識を作り出す。
氷と炎の歌。
第七章でブランは自己の欠落が始まっていましたが、王都を焼き尽くす瞬間、ブランは神そのものになると思います。

ドラマに於いても、王都という場所がいかに酷く悪臭を放ち、腐敗しているかが言及されていました(オレナ・タイレル、ロラス・タイレル、オベリン・マーテルなどは王都の酷さを語っていた)
紛争、貧困、スキャンダルなどなど。
そのため、死の軍団による都市の一掃が始まる。
彼らが王都を破壊しなかった場合、更なる地獄が待ち受ける。

しかし、私は王都が燃え尽きることが「長き夜」の終焉だとは思っていません。
死の軍団との戦いが終わるとも思っていません。
この後、死の軍団に対処する必要があり、それまでとは異なる犠牲が必要です。

◆ブランはすべて=神


ブランは「ロード・オブ・ザ・リング」のフロドと同様な運命に直面するでしょう。



第七章で、あまりにも多くの記憶を取り込んだブランは自分自身を失いました。
三つ目の鴉になることで、肉体的には生きているがブラン自身は死んだ。
ミーラが語っていた通りです。
ブランは自己損失という犠牲を払った。

「神」となったブランの心は幾多にも分離し、あらゆる場所へ飛んでいく。
「歩けないが飛べる」と三つ目の鴉が言っていた通りに。
そして、「長き夜」を終わらせる最終行動を開始。
物語での(所謂)英雄に対し、解決に導く力を与えるでしょう。


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ブランを中心とした話の展開ですが、「そう言われてみると」というポイントはあるように思います(一応)

私個人は王都に死の軍団が到達し、そこが最終決戦になると思っていました。
夜の王は鬼火を根絶する目的で行動し始めているのでは?という予想。

ブランが鬼火で王都をあえて壊滅させるという発想はなかったですね。

民を犠牲にしてまで大量破壊兵器で都市を壊滅・・・個人的にはチョッと違和感はあります。
多くの市民の犠牲者を出した原爆と重ねてしまい、ぶっちゃけ「ふざけんな!」とも感じます。

ややツッコミどころがありますね。

この理論提示者は他にもブログで記事を書いていますので、気が向いたらまた紹介したいと思います(苦笑)









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Winter is here

12月に入りました。
いきなり冬になった感じですねー。


雪が降りまして、あたりは薄っすら雪景色です。

「ゲーム・オブ・スローンズ」第七章で、王都に雪が降り出した時の曲。
Winter is here

ま、うちの地域では雪が降り出すと風が強烈に強くなるので、こんな静かな雰囲気ではないんですけどね(笑)

生活する上では「うぇ~雪だぁ!!」と嘆くんですが、脳内では「Let it snow」が流れ出したりします(苦笑)


週末、慌ててタイヤ交換する人も多いかもねー。







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映画ネタ――家族が共演している作品

俳優の家族(親子、兄弟、夫婦)が同じ作品に出演しているものがあります。
その中から、いくつか紹介します。
尚、カメオ出演しているケースは省きます。

◆「ペーパー・ムーン」1973年/米

ライアン・オニール(父)、テータム・オニール(娘)
この作品は有名ですね。
テータム・オニールはアカデミー賞助演女優賞を史上最年少で受賞。

◆「黄昏」1981年/米

ヘンリー・フォンダ(父)、ジェーン・フォンダ(娘)
ヘンリー・フォンダの最後の出演作品で、アカデミー賞主演男優賞を受賞。


◆「センチメンタル・アドベンチャー」1982年/米

クリント・イーストウッド(父)、カイル・イーストウッド(息子)
中年歌手のロードムービー。
息子のカイルは甥の役で、歌手である伯父に憧れる。

◆「ウォール街」1987年/米

マーティン・シーン(父)、チャーリー・シーン(息子)
作品の中でも親子役。
お金の価値観が親子で異なるという設定。

◆「ヤング・ガン」1988年/米

エミリオ・エステベス(兄)、チャーリー・シーン(弟)
ビリー・ザ・キッドを題材にした作品で、エミリオ・エステベス主演。
トム・クルーズもカメオで出演してます。

◆「恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」1989年/米

ボー・ブリッジス(兄)、ジェフ・ブリッジス(弟)
ピアニスト兄弟と女性シーンガーのお話。

◆「ロッキー5/最後のドラマ」1990年/米
 
シルヴェスタ・スタローン(父)、セイジ・スタローン(息子)
作品の中でも親子役。

◆「評決のとき」1996年/米
 
ドナルド・サザーランド(父)、キーファー・サザーランド(息子)
同じ作品に出演していますが、二人が顔を合わせて会話するシーンはありません。

◆「ウィンター・ゲスト」1997年/英

フィリーダ・ロウ(母)、エマ・トンプソン(娘)
アラン・リックマンの初監督作品。
作品の中でも親子の役。
心を閉ざした娘と彼女を心配する母との対立や愛情の物語。

◆「ドニー・ダーコ」2001年/米

マギー・ギレンホール(姉)、ジェイク・ギレンホール(弟)
作品の中でも姉弟役。
一回見ただけでは理解できない複雑な筋立ての映画で、カルト映画になりました。

◆「シルヴィア」2003年/英

ブライス・ダナー(母)、グウィネス・パルトロー(娘)
作品の中でも親子役。
作家シルヴィア・プラスの半生を描いた作品。

◆「バンガー・シスターズ」2002年/米

スーザン・サランドン(母)、エヴァ・アムリ(娘)
作品の中でも親子役。
ゴールディ・ホーン共演で、昔グルーピー仲間だった友人と久しぶりに再会したことで巻き起こるヒューマンコメディ。

◆「幸せのちから」2006年/米

ウィル・スミス(父)、ジェイデン・スミス(息子)
ウィル・スミスの子供との共演が始まった作品(苦笑)
この頃のジェイデンは可愛かった。

◆「アイ・アム・レジェンド」2007年/米

ウィル・スミス(父)、ウィロー・スミス(娘)
ウィローは作品の冒頭に少し登場するだけですが。

◆「アフター・アース」2013年/米

ウィル・スミス(父)、ジェイデン・スミス(息子)
作品の中でも親子役。

◆「グロムバーグ家の人々」2003年/米(日本未公開)

カーク・ダグラス(父)、マイケル・ダグラス(息子)、キャメロン・ダグラス(孫)
マイケル・ダグラスがプロデュースした作品。
親子三代が初共演したという、ダグラス家の思い出作りのような作品ですね。

◆「ザッツ★マジックアワー ダメ男ハワードのステキな人生」
2008年/米(日本未公開)
トム・ハンクス(父)、コリン・ハンクス(息子)
親父が製作し、息子が主演。
親の望む道を嫌がり、自分なりの人生を生きていこうとする青年のお話。

◆「クリエーション」2009年/英(日本では東京国際映画祭にて上映)

ポール・ベタニー(夫)、ジェニファー・コネリー(妻)
作品の中でも夫婦役。
「進化論」で有名なチャールズ・ダーウィンの生涯を描いた作品。
宗教的に「進化論」は反発を受けやすいアメリカ。配給会社が配給を拒否したという、何とも言えないエピソードつき。



―以上です。
家族共演では、やはり家族の役が多いですね。








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